ASD当事者で
大阪府和泉市の放課後等デイサービス「就労準備型放課後等デイサービス 自由帳」指導員いけしまです。
更新が遅すぎていけしま自体驚き⁉️
自分を書くことの難しさ(精神的にも)を実感しております。
前回は、物心ついたときから小学校4年生までのいけしまの生育歴をつづりました。
今回は小学校5年生からつづっていきます。
おそらく誤解や批判もあるであろう内容です。
しかし、同じ子どもたちにかかわる立場として、子どもの時からの気持ちを忘れる前につづりたいと考え、数週間悩みながら書きました。
そのような内容なの今回の意図を先に明確化しておきます。
「間違った教育や療育は
反社会的な行動につながるです」
小5のいけしま
この学年は
1つのターニングポイントでした。
小3〜4担任が別の学校に行ってしまったことが大きかったです。
さらに、新担任が教員の経験が浅く、保育園時代を含めて今までベテランの先生にしか当たってこなかったので
いけしまが
頼りない先生と即拒否したことです。
いけしまは同年代より大人と関わりたい典型的な発達障害児で大人を信用はしてなかったけど、同級生といるくらいならと先生の近くがいいと先生から離れない子でした。
しかし、小5からは大人嫌いが加速して出来れば距離を取りたい子に変わりました。
小5のいけしまに
新担任は口癖のように
まじめに字を書きなさい
そして恒例の
丁寧に書いた字は伝わる
を言ってきました。
この担任になるまでは辛うじてノート取っていたのを一切やめて宿題も完全拒否。
授業中も後ろ向いて受けるということ宣戦布告をしました。
もちろん担任も放置はできないので
「いけしま、今先生が説明したこと答えて」
とよく当ててきました。
今よりも聴覚からの記憶力がさらに優位だったいけしまはすらすら答えました。
先生残念´д` ;
このやり取りが頻繁になるとさらに
「この担任に消えてほしい」と思うようになり、
当てられた時にこれから説明するであろうことも先に重点を押さえて説明し、新任教員の授業計画をぶっ潰してました。
ここまでエスカレートしたのは、クラスメートが担任が困る姿を見て?喜んで歓声をあげるので、
みんなも担任のこと拒否している
=私は正しいことをしているという
「いけしまが思ってること
はみんなも思ってる」
思考が原因だと分析します。
余談ですが、私がなぜすらすら答えられるかというと母の影響が大きいです。
母は私に「勉強しなさい」と一度も言ったことない、おそらく世間では珍しいタイプでした。
そのかわり、お年玉に半分現金、半分図書券を必ずくれました。
本が好きな母は、本は読んでて損しないと小さい時から言ってくれていたので素直に受け取れていました。
小学校入学とともに図書室のありとあらゆる本を読みあさってました。
もちろん識字に困難のあるいけしまは最初から本がスラスラと読めません。
でも、好きで本と触れ合っていたので最初は絵や写真がメインのもの、次に興味があるけど字が多いものとどんどんと知らぬ間にランクを上げていってました。
しなさい!
と言われなかったからこその集中力^ ^
誤解されがちですが、識字の困難さがなくなったわけではなく語彙が増えて漢字全てを読解出来てなくても読める漢字から文脈を読み解く(推論)力が身についていったと分析します。
さて、小5のクラスの話に戻りますと1つ変化がありました。
これは1学期だったのか2学期だったのか記憶に自信がないのですが転校生の登場です!
この子も新担任が気に食わなく、家庭環境に難ありという共通することがありました。
また、リーダーシップのあるけど女子特有の人間関係をしなくて良いので意気投合しました。
その結果、クラスの中でいけしまの授業放棄態度が伝染し、2学期半ばには授業中に前を向いている生徒はわずか…
授業中に運動場が空いていると、飛び出してドッヂボールや鬼ごっこ開催。
立派な?学級崩壊になりました。
新担任は私たちの前でよく泣き、周りの先生からもよく怒られている姿をよく見ました。
今思うと悪いことをしたと思います。
しかし、許せない部分があること、大人嫌いへの加速に影響したことは事実です。
いけしまは小5の2学期から卒業するまで、ほぼ給食の時間かその少し前にしか登校しない自由な生活をしていました。
母にそんな話を最近しましたが、早退以外で電話きた記憶ないとのことなので、諦めかめんどくさがられていたのでしょうかね。
小5・6の学校生活で唯一良かったことは(担任を悪にしてではありますが)
周りと一体感を味わえたことです。
これは、私の人生の中で初体験でした。
認められたと感じた経験でもあります。
完全な誤学習ですが…
たった2年をかくのにめちゃくちゃ時間がかかったので今回はここまでで!
次は激動の中学時代へ突入ですヽ(´o`;